ゼノン・パラドクス(?)

脳と阿頼耶識 - finalventの日記

知覚には時間性が含まれていないが、脳は長時間的に知覚のようなことをする。つまり、それが阿頼耶識、と言っていいだろう。これは結局、ゼノン・パラドックスなんだろう。

ゼノンのパラドックス - Wikipedia

パラパラマンガやアニメのようなものとして、現実の連続性を理解することはできない

無限に切り分けられるということと、無限に足し合わせられたものからなっている、ということは、一見同じことのように見えるが違う。そして、現実の運動や連続について、前者は言えるが、後者はいえない。

ゼノンのパラドクスの問題点(特に,哲学的観点からの問題点)が,勉強不足で,いつも良く分からない.

聴覚や視覚は時間微分量を直接計測してるのではなかったか.パラパラマンガのように静止した状態を計測する(そして,それを脳がつないだりする)のではなく,連続に変化する量の「変化量そのもの=微分係数」を直接計測してるのではなかったか.

内耳の蝸牛は音波をスペクトル(「各時刻の」時間周波数=「瞬時周波数」のようなもの)に分解している.眼球は固視微動により静止画を見ているときでも網膜上の映像に時間変化を生み出している.聴覚器官は,各時刻における網膜近傍の音圧(静止圧)を出力するわけではなく,視覚器官は,網膜上の照度分布(パラパラマンガのひとコマ)を出力するわけではない.脳が処理する知覚信号は,無時間な量(だけ)ではなく,時間変化量ではなかったかと思う.無限に小さい「点」を積分しようとすると困るけど,「変化量」を時間積分して総量を得るのは難しくないような気がする.どうなんだろ.