学力低下

蓮實重彦「私が大学について知っている二,三の事柄」からメモ

(明治二十年代の終わりから三十年代にかけて旧制高校ができていったとき)夏目漱石は「学力低落」という言葉を使っているわけです.

(昭和十年代)三木清とか西田幾太郎とか,哲学系の人たちが大学生の「知能低下」とうことをさかんに嘆くわけですね

日本の歴史の中で学力低落ということが一〇〇年来続けて話されてきた

日本の近代の歴史はそのような学力低下を次々に生み出すことで発展してきたということくらいはやはり知っていてもらいたい.

学力低下と発展に関する文言は,どうなのかなぁ.

私が大学について知っている二、三の事柄

私が大学について知っている二、三の事柄

教育について責任を負う

ドラッカーの本からメモ

知識が現代社会の中心的な資源となったために,大学に第三の機能が加わった.教育と研究に加え,社会への貢献すなわち知識を行動に移し,社会に成果をもたらす機能が加わった

研究は教育や学生のニーズとは両立しないとする.これは誤解である.

知識ある者は教育の内容,水準,成果,影響について責任を負わなければならない.

成績の悪い生徒や学生を責めることは許されない.できない生徒や学生は学校や大学の責任である.

意欲のない生徒や学生は学校や大学の恥であり,教師,教授の罪である.

ひえー.責任遂行のための組織的取り組みが必須.教員の労働(研究・教育・社会貢献)に関するマネージメントがキチンとなされないと,背負いきれません.道のりはとても遠い.

テクノロジストの条件 (はじめて読むドラッカー (技術編))

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